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昼休み会議のようす

毎週木曜日の定例会議の様子。
まだ、ブログにアップしていなかったので、今日のぶんを。

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こんな感じで、今日はホワイトボードを使って、テーマ会議をしました。5つほど有力なテーマを、みんなで骨組みだけ作り、そこから各班に分かれて、さらに企画を練ってもらいます。
こうして見ると、やっぱり女性陣が圧倒的に多い、法政文芸です。
男性は4人しかいません。そして、あまり写真に写りません。
ぜひ、みんなで集合写真とか撮りたいものです。


昼会議の日には、みんな、結構ごはんを食べている姿が見受けられます。女性が多いので、お弁当の子も多いです。あとは、パンなど手軽に食べられるものを持っている人も多いですね。
ちなみに、僕は会議が終わったあと、コンビニや学食で食べる派です。


ごく、私的な話ですが……。
毎週のように会議をおこなっていますが、みんなの前に立って話すと、前々から話そうと思っていたことが頭からすっぽり抜けてしまって、つい忘れがちになってしまうことが多々あります。
連絡漏れしてることあったー!と、あとでひとりになったとき、唐突に気づくのです。どうも、あがっちゃって、ネジがはずれているのです。
今後、もっとうまく喋れるようになればいいな。


では、今日はこれにて!
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方向性

いくつか方々で話があがっていますが、そろそろ「法政文芸って何?何を目的にした本なの?」という質問に答えられるような方向性を、示していかねばならない時期が来ているようです。
とは言っても、もともと法政文芸は「日本文学科の卒業制作を発表するための場」であり、文芸コース以外の卒業制作を載せている「日本文学誌要」の別冊という扱いなのです。
言い方を悪くすれば、いわば、おまけ。
法政文芸が創刊されたのは2005年で、文芸コース自体が設立されたのはそこから約10年前の1995年あたりのことです。どちらにしても、歴史がある、と言うには若すぎます。


法政文芸に欠けてはならないコンテンツというのは、いまだ卒業創作だけであり、もともとの法政文芸の存在意義というのは、そのための発表の場でありました。
極端な話、特集なんてのは不要なのです。
ただ、それだけじゃあまりにも寂しい。
日文科学生以外の誰も読んでくれないのは想像に難くない。
そこで、学生が主体になって特集企画を考えていこう、という取り決めがなされ、法政文芸の特集が毎号毎号決められていくわけです。


若い法政文芸がこれからどのような道を切り開いていくのか、そのためのコンパスや海図が、法政文芸の方向性です。「学生の卒業制作の発表の場」という根源的な存在意義に、どう特集記事を絡ませていけばいいのか、それを考えて、変わることのない指針を作ることが今、必要とされています。


しかしです。
学生が編集委員で、代替わりしながら、それらの方向性を決めていくのは非常に困難な作業です。学年という壁がある以上、変わることのない意志が受け継がれていくということは、あり得ません。
歴史上、幾度も思想や価値観が変遷してきたのと同様に、法政文芸もそれぞれの学年に残された時間はたったの一年しかなく、その一年で得たものがすべて、後の代に脈々と受け継がれていくことは、まずありません。
だから、毎年の号でそれぞれのカラーがまったく異なってきてしまうというのも、仕方のない部分ではあるのです。


編集技術や組織のまとまりなど、何もかもまだ未熟な中で、ひとつひとつ、法政文芸の存在意義を固めていくことは、悪いことではなくむしろ考えていかねばならないところです。
ただ、それを考えるためには、圧倒的に時間も人も足りない。
毎回、誰もが出席してくれて、全員が全員、真摯に法政文芸のいろいろな部分について議論してくれれば大いに結構なのですが、学生の本分である勉学やアルバイトの時間を取られて、大学生は思った以上に忙しく日々を過ごしている人が大半です。そういった人の時間をちょっとずつ分けてもらって、毎年、法政文芸は完成へと向かっていきます。
そして議論するだけではなく、もちろん個人がそれを妥当な結果を生む実行へと移さなければ、何の進歩もありません。しかし、その実行するという行為は、難しいものです。自分が正しいことをしているつもりでも、異なる視点からその行為を見つめたとき、それは正しくないこともあります。そして、その判断ができる監査が必要なのです。そしてその視点や過ち、得たものを逐一フィードバックして、更なる糧とする時間が必要です。想像もつかないような時間と結果を重ねた上にだけ、変わることのない方向性というのは生まれるはずです。
ということを考えはじめると、結局は創刊の際に提示された「学生の卒業制作の発表の場」という方向性に落ち着いてしまうのが、一番安易で妥当なところです。


でも、方向性は欲しい。
法政文芸の存在意義が「発表の場」であるならば、その「発表の場」を広げ、いろいろな人に読んでもらう機会を少しでも増やすことが、その存在意義の延長にあるはずです。
直近の会議で、「法政文芸のこれからの方向性は何か?」という議題を持ち出したとき、挙がった案のひとつが「編集委員が学生なんだから、学生の視点を利用する方向性」です。
それは、法政文芸は商業誌に追いつこうとするのではなくて、もっと独自の学生らしさのある冊子にしていこう、という意味でもあります。
これから法政文芸が求めていかねばならないのは、圧倒的大勢に読まれるナンバーワンではなくて、少しでも多くの人に読まれるためのユニークさなのかもしれませんね。

小川洋子『凍りついた香り』レビュー

こんにちは、学生編集長です。
久々にレビューです。
小川洋子さんの『凍りついた香り』。
幻冬舎文庫より、初版は平成13年8月25日。

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今年の夏、法政文芸のメンバーで箱根へ合宿へ行ったのですが、その際、ポーラ美術館とラリック美術館に訪れました。
ふたつの博物館で共通して展示してあるものが、香水瓶です。
ポーラ美術館は、化粧品会社のPOLAの所有する博物館ですから、女性ファッションの進歩とともにあった香水とそれを詰めるための美しい瓶を、常設展示していました。
ルネ・ラリックは19世紀から20世紀にわたり活躍した、フランスのジュエリーデザイナーです。彼はまたガラス工芸家でもあったので、彼の作品には多くのガラス工芸があります。そのうちのひとつが、香水瓶です。


そして、今回紹介する『凍りついた香り』でも、重要なキーワードとなってくるのが香水です。
彼である調香師の弘之を自殺で亡くした涼子は、彼の作っていた香水のメモをもとに、彼がなぜ自分のもとから永遠に手の届かない場所へ逝ってしまったのかを、紐解こうとします。
「締め切った書庫、埃を含んだ光。凍ったばかりの明け方の湖。緩やかな曲線を描く遺髪。古びて色の抜けた、けれどまだ十分に柔らかいビロード」……弘之が残した香りのイメージです。
そのイメージを追って涼子は、彼の生きていたころの足跡をたどっていきます。


香りが持つのは、いつだって過去の記憶です。
人は香りを吸い込むとき、過去の印象や記憶しか思い出せません。
進むべき未来は、香りの中にはないのです。
自殺してしまった弘之の影は、いつまでも涼子の身の深くに刻み込まれて、彼女は日常を活動しているけれど、精神的には全くと言っていいほど、前には進んでいません。
失ってしまってからはじめて、弘之の足跡をたどることで、彼女はあるひとつの救いのようなものを、ミルラに浸された孔雀の美しく儚げな心臓から得ます。孔雀は香水と同じく、過去をつかさどる番人としてこの物語では描かれていて、涼子は孔雀の心臓を通して、過去に触れるのです。あたかも、香水瓶に顔を寄せて、その香りが生み出す過去に身を浸すように。
凍りついた過去をゆっくりと溶かしていくことで、涼子は本来の意味での、前へ向かって生きるということを見つけるのです。……彼女は自覚していないかもしれませんが。


小川洋子さんの本で有名なものと言えば、『博士の愛した数式』です。
『凍りついた香り』でもモチーフとして、『数学』が挙げられます。
小川さんの作品が織りなす世界観は、美しく秩序立っています。
それは、どことなく数学の揺るがなさを表現しているようで、僕はとても好きです。どこまでも純粋で、透明で、しかしその裏に複雑な密度を孕んでいる。明け方のスケートリンクのように静寂としつつも、その氷の板は圧倒的に重厚なように。


死者からはじまる物語といえば、推理探偵ものが多いけれど、『凍りついた香り』はただひとつの真実を導くというよりも、死という結末を受け入れるための物語、だと思います。
数的世界を利用した清冽な世界観であるのに反して、物語で描かれる人間は、感情の強さや豊かさをたくさん持っていて、彼女らを見ているとじんわりと暖かいものが胸に溢れます。
暖かいけど、どことなくせつなげで、夕焼けのように儚い。
そんな、小説でした。


では、今日はこれにて!

テーマ決め会議

こんにちは!学生編集長です。
ちょっと元気をアピールするために、!(あめ)を打ってみました。


いよいよ今日から法政文芸第七号のテーマ決めがはじまりました。
テーマ決めの際は毎年ありがちなんだけど、昨年と同じテーマが出てきます。
身近なところで、『女性作家の文学』とか。
法政文芸の妖精さんによると、「毎年出るテーマは、ある種、普遍的に通ずるものを含んでいるからこそ、毎年のように案として挙がる面もある」ということなので、いつかは特集記事を組みたいですね。


んー、あと面白いところでは、『市ヶ谷、飯田橋、神楽坂、法政大学の文学』。
これらの場所を舞台にしたエッセイや小説、ということなのかな?
吉田修一さんの『横道世之介』を是非紹介したいテーマですね。


あとは僕が考えていた、『東京』。
東京タワーも2011年にはスカイツリーにその立ち位置を譲り、その役目を終えるわけなので、東京という範囲に絞ってエッセイや小説を捉えてみるのも、面白いかと思ったんだがなあ。
でも、第五号特集の『土地の力/場所の力』を更に狭い範囲で考えてみた、というテーマになりそうなので、みんなの反応はイマイチかな。
しかし、見事にリリー・フランキーさんしか思い浮かばないなあ(笑)


いずれのテーマを選ぶにせよ、今回挙がったテーマ(上記のはほんの一例だよ!)より、さらに狭く範囲を指定して、深い内容の特集ページを作っていきたいですね。
では、今日はこれにて!

こんしんかーい!

こんにちは、学生編集長です。
本日は第七号メンバーでの懇親会でした!


たのしい。


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(クリックで大きくなります)


楽しい


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わーい!
田中和生せんせい(ドーン)


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ハンサムです、田中先生。


みんな、お疲れ様でしたー。
きみちゃんが大変酔っていて、びっくりしました。
法政文芸の妖精さん(某院生の方)は、相変わらずのセクハラっぷりです。
一年生同士でも色々話してるみたいで、懇親してましたね。
うむうむ、いいことじゃー。
みんな、いつも以上に打ち解けたんじゃないでしょうか。


では、今日はこれにて!
しっかり、これからはテーマ決めの会議を、年末までに推し進めていきましょう!良い号が作れるといいなあ。みんな、協力してくれい。

習うより……

こんにちは、学生編集長です。
更新が滞ってましたね!申し訳ない。


昨日で中沢ゼミのゼミ誌校正が終わりました!
一緒に校正をしてくださったゼミ生の方、ありがとうございます。
法政文芸のメンバーにとっても、校正練習の良い機会となりました。
校正を行う上で、個人の能力的な問題だけではなく、組織として校正に臨む場合の問題点もたくさん見えました。


法政文芸内でも、統一されたハウスルール(校正基準)があると、作業を行う上でとても便利なのですが……。
校正作業には教科書一遍通りだけなく、知識と経験の積み重ねの部分もあるので、ハウスルールを作るのにも一苦労しそうです。
今後、そういった校正作業のガイドを随時改めていくことも、法政文芸には必要ですね。


それと、校正の練習。
今回のゼミ校正に来れなかった法政文芸のメンバーにも、ぜひ法政文芸での校正の前に、校正の練習をして欲しいです。練習会みたいなものをひらこうかな。
しかし、今回の校正は、全体的に良い経験になったのではないかと思います。やっぱりやり方をガイドで見るよりも、こういうのは経験したほうが圧倒的に理解度が違いますね。


“習うより、慣れろ!”
“百聞は一見にしかず”
法政文芸の仕事には、そういったものが多いと思います。
いや、それに限らず、物事は何でもそうなのかも。


ともかく、頭の中で考えて理解していくよりも、身体を使っての経験を通したほうが、物事の理解には良いようです。
文芸のメンバーには是非、身体を使って欲しいね。
では、今日はこれにて!

校正について、いくつか。

こんにちは。学生編集長です。
今日も今日とて、ゼミ誌の校正。
朝からでしたが、参加してくれた人、お疲れさまでした。
先輩方も来てくださって、良い経験になったと思います。


いくつか気になる点があったので、メモメモ。
問題点は共有していきましょう。


・校正が踏み込むべきでない領域をわきまえる
法政文芸編集委員が校正でチェックすべき個所は、表現上の問題ではなくて、誌面上の誤りや表記ルールの誤用です。僕たちは小説の核(内容・表現)に迫るようなチェックをするより、もっと文字に対して記号的・皮膚的なチェックをするべきでしょう。僕らはあくまでも原稿の形成外科医であって、精神科医ではありません。

・表記ルールなど基本的部分の見落とし

書名、雑誌名を括るときに使用する二重括弧、語句を区切る中黒の使用など、基本的な表記ルールを把握していない人が多いようです。その結果、「まあいいか」とその部分をスルーしてしまうことにも繋がりかねません。三点リーダやダッシュの使用ルールなど、基本的な記号については使用法を理解しましょう。

・自分ルールの撤廃
「難しい漢字はルビをしたほうがいい」「ここは漢字で統一」など、校正に必要のない自分ルールは捨て去りましょう。と言いつつも、僕もよく自分ジャッジが表に出てしまうときがあります。そういう時は、まず経験者や複数人に聞いて、判断を仰ぎましょう。校正を複数人でやるのは、原稿を見る目を増やす意味があります。違う視点を持っている誰かに聞かなければ、複数人で校正する意味などありません。議論を戦わせることも、時には必要でしょう。

・表現に囚われるより、誌面をよく見る

再三言われることですが、校正作業には記号的な読みを。内容を追うことと、言葉を文字として読むことは別です。文字は記号化された言葉という認識で、言葉を追うよりも文字を追いましょう。僕らの仕事は、イケメンを製造することであって、性格までは個々人の内面の勝手なので、ノータッチで。

・先輩に聞く。後輩に教える。
未経験者ほど率先して校正作業に関わってほしいと思います。そして、未経験者や経験が浅い人たち同士で相談するのではなく、経験者や先輩に相談をして下さい。先輩や経験者は、自分の校正作業のやり方に誤りがないか、お互いに確認し合いつつ、後輩に技術を教えていくこと。良い果実は水と肥料をやる人がいなければ育ちませんが、同時に果実自身にも良く育とうという意思が必要です。そして、肥沃な大地で育つ果実よりも、多少は厳しい環境で育った果実のほうが、より中身は甘く濃く育つはずです。


以上、気になった点を僕なりにまとめさせてもらいました。
これを読んで、みんなが感情的にどう思うかは別として、とにかく法政文芸編集委員内で、校正作業のやり方についてたくさんの問題点が見えてくるのでは、と思います。
このような問題を解決していくには、誰か一人が問題を把握して解決にあたるよりも、問題を共有して「じゃあどう解決していくか、どう対処するか」を全体として考えたほうが、遥かに楽で時間もかかりません。
しかし、問題点を全員に浸透させ理解するまでに時間がかかるのです。
そして、浸透させるやり方で、全体の理解度は左右されます。
このやり方は、僕が率先して考えていかねばならない部分です。


校正作業をして見えてくる問題点をスルーしていては、いつまで経っても今の法政文芸に進歩は見られないし、これからも、進歩していく部分は生まれないと思います。
誰かが気づいた問題点を共有して、全体の動きの中で解決していかねば、法政文芸は次第に周囲からの信用を失ってしまうでしょう。
何よりも大事なのは信用であり、信用なくして組織は動きません。
信用があるからこそ、原稿は集まるし、人も集まるのです。
問題点を先送り先送りにして、誰ひとり問題に気づくことがないという愚鈍な状態に陥ってしまったら、それこそが法政文芸の破綻の糸口になるでしょう。


僕自身もまだ知らないことがたくさんあります。
誰かに聞いても答えが返ってこないことなんて、ザラです。
だからこそ、誰かが気づいたことを、いろんな人にパスしてやる機能がないとダメなのです。知らないままでいたら、いつまで経っても、視線は変化を起こさない。
こういう話を聞くのは、ちょっと感情的には気分が悪いかもしれませんが、こういうことを話すことや受け取ったりすることが、本来の意味でのコミュニケーションであると思いますし、法政文芸に本当に必要な基礎部分だと思います。


冗長に語っても仕方ないので、今日はこれにて!
この記事を書いていて、僕自身も見直すべきこと、たくさんありました。

ゼミ誌の校正!

こんにちは。学生編集長です。
中沢ゼミ誌のゲラがあがったため、今日は校正作業をしました!
文芸コース中沢ゼミの二年生・三年生のみなさんが書いた作品。
ゼミ誌になる前に読めるから、得した気分です。
あれだ、ゲームのデバッカーみたいな気分。


ダーッと並ぶ、ゲラ・ゲラ・ゲラ。
(クリックで大きくなります)
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校正実務の本とか図書館から借りてきてるよ!
さすがにみんな、参考図書なしじゃ校正できないので。
校正ガイドを片手に作業です。


人が増えて、和やかな雰囲気で作業。
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お菓子を買ってきたり、中沢先生からの差し入れもありました。
赤ペンと電子辞書は、校正やる上で忘れちゃいけないよねー。
みんなで辞書を引きまくりました。
しかし、電子辞書って「引く」って言うのか?


集中する森先輩。
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作業中は見落としがないように集中。大事。
二・三年生は多かったけど、今日は一年少なかったぞ!
明日も作業するから、ぜひ来て欲しい。


校正作業終わって、夜の市ヶ谷。
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22時近くまで作業してから、日高屋でごはん食べました。
作業終わってみんなで食うラーメンは美味しい。
これが青春や。リア充になってしまったのか、法政文芸。
いえ、法政文芸は決してリア充ではありません。


終始、集中するときは集中!和やかに休憩のときは休憩!で、メリハリのある校正作業になったと思います。みんなであれこれ議論しつつ、校正すると楽しい。
校正セミナーで学んだこと、みんな生かせたかな?
あまり来なかった一年生は、明日に期待。
では、今日はこれにて!

黄色い目の魚 パートⅡ

こんにちは、学生編集長です。
佐藤多佳子さんの『黄色い目の魚』、ようやく読み終えました。
学祭の準備etc、で結局最後の三分の二を読むのに時間が必要だった。
読書をするときはいつもそうなんですが、僕は最初の150ページはさっさと読むのだけれど、250ページあたりから不意に読むのを中断してしまうことが多々あります。
ドラマとかゲームも同様で、ドラマだったら第十話・ゲームだったら終盤突入直後くらいに、楽しむことを止めてしまう。
なぜなんだろう?
たぶん、楽しむことをやめる終わりがくるのが嫌なんだろう。


だから今回、『黄色い目の魚』の場合も「最後まで読むぞー!えいっ!」ってな気合いが必要だった。物語の終局に向かって無邪気に加速できたのは、僕がまだ中学生くらいの頃で、今は終盤になるにつれ、どうも雑念が入ってしまうようで、「もうここいらでいいんじゃないか」と思ってしまうから。
雑念っていうのは、「終わらなければいい」なのかな。
例えば、キャラ小説の二次創作があるけれど、あれは「終わらない、模造されていくもの」であって、「終わらない」ことは約束されているけど、僕にとっては「オリジナルが大切」だから、「二次創作があるから、僕の中でのその作品は続く」っていうわけではない。


そういう意味で、『黄色い目の魚』も僕にとっては大切な物語だった。
「終わらなければいい」と思って読むのを躊躇してしまうほどの作品。
ひとつの世界が彩々とした膨張をみせて、最終的に収束していくのが怖いと思ってしまうような。


佐藤多佳子さんは大学二年生のとき、『黄色い目の魚』のもととなる短編を書いたそうです。
大学二年生って言ったら、いまの僕と同じだ。
それから十年経って、作家として活動し始めてから、リライト。
高校生の木島悟がクラスメイトの村田みのりをスケッチする不思議な関係は、短編から長編へ――。
湘南・鎌倉を舞台とする世界は急速に色づいて(しかしあのあたりって地理的な印象では、延々と灰色の空と海のようなイメージが僕にはあるけれど)、本作のテーマのひとつである『絵』に様々な形で関わろうとする魅力的なキャラクターも、その際に生まれたんだろう。
そして、また十年の歳月が経ち、『黄色い目の魚』は単行本化しました。


文庫版(新潮文庫)のあとがきで佐藤多佳子さんは、『(黄色い目の魚を)収録して本を作りたいというのは、実のところ長年の夢でした。(中略)単行本化の夢がかなったわけなのですが、いざ短編を並べてみると、さすがに十年前の作品は微妙に違います。文章の話やリズムなどが。でも、今、書き直すと壊れてしまう気がして、細かいところをいじっただけで、そのままの姿で残しました。』と書いています。
『黄色い目の魚』を佐藤多佳子さんが語るとき、『昔の短編からはみ出すように生まれ出た、エピソードやキャラクターやイメージの亡霊どもが心の中に棲みついた』とも言っていて、その素敵な亡霊たちが、佐藤さんに、『黄色い目の魚』という精緻に完成された世界を書け書け、とせっついていたのだと思います。


佐藤多佳子さんにとっては本作が、作家としての自分のルーツとなる作品であり、かけがえのないスタートラインであることは、読者から見ても明らかです。
人が変わるには十分なほどの、十年という長い歳月を佐藤さんが歩き切ったとき、佐藤さんは一度後ろを振り返ってみて、『黄色い目の魚』を見つめるのかもしれません。
そして、また創造に満ちた様々な亡霊たちが佐藤さんに対して、「はやく続きを書けえ~!!」と叫ぶのかも。そうしたら、両手で頭を守るようにして、佐藤さんは「はいはい、ただ今」と言って、素敵な亡霊たちの声を成仏させていくのでしょうか。
一読者として、次の十年後が楽しみになります。


では、今日はこれにて!
プロフィール

法政文芸編集委員会

Author:法政文芸編集委員会
法政大学国文学会が発行する文芸誌「法政文芸」編集委員によるブログ。編集の様子やオススメ本の紹介など、個性豊かに発信していきます。法政文芸のバックナンバー、その他のご質問はこちらまで→hosei.bungei@gmail.com

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