スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【レビュー】 『青春の蹉跌』 石川達三


 現在最も注目を受けるであろう文学賞となった芥川賞、その第一回受賞者である作者のこの中編作品は、豪華なキャストで映画化され、現在でも読み続けられるベストセラーとして知られている。

主人公の江藤は法学部で司法試験を受けようとしている学生で、専攻のみを学び人格的には未発達な印象を受ける。そして彼は民主主義の日本でどのようにすれば将来裕福な生活ができるかを常に考えている。理想論は掲げず、ただ現実のみを見て、成功のためには屈辱も受けるという強い出世欲を持っていた。彼の家は貧しかったのが大きな理由である。そのため登美子という学生の家庭教師をして家計を助けた。その中で二人は肉体関係をもつようになっていた。大学に行けているのは裕福である叔父から援助を受けていたためだった。江藤の目標は叔父が求めている司法試験に合格し、叔父の娘である康子と婚約をかわすことであった。登美子との関係を続ければ、彼の目標は遠くなっていく。未来のことに目を向けすぎて今のことを見ていない江藤の行く先はどうなるのか。

 江藤の将来を見据えそのために今を生きる姿は現代の安定志向を目指す若者にも当てはまるところである。近年の不況による就職難は、その風潮をますます加速させている。理想的な世界に変えるために学ぶのではなく、現在をいかにいきるかを学ぶ。それはまさに現代的で現実的な選択である。実際自分より優秀であった人物が、共産主義に肩入れして警察に捕まったときにも、それが色濃く表れている。革命や政治の理想を説く学生は、この小説が書かれた一九六〇年代においては典型的な学生であり、うまく時代背景とマッチさせている。

青春の蹉跌とはいえない重いテーマが、この小説には描かれている。読み終わったあとには実際に青春を生きている学生にも、再び今と未来について考えさせられていることだろう。(文責:澤砥)


青春の蹉跌 (新潮文庫)青春の蹉跌 (新潮文庫)
(1971/05)
石川 達三

商品詳細を見る

スポンサーサイト

法政文芸第8号発行直前です!<表紙公開>



こんばんは。
法政文芸編集委員です。
早いことに6月ももう終わってしまいますね……。
ということは法政文芸の発行日ももうすぐっていうことです!

今回は法政文芸の表紙をお見せしたいと思います。
どーん!
DSC_0085.jpg

もちろん中身はまだできていません……。
一応法政文芸の発行日は6月30日となっていますが
納品予定日は7月5日となっていますので、
その日以降にはみなさんも手にすることができると思います。

今回目次を出そうと考えましたが
情報は小出しにした方がいいのかとも思いましたので、
6月30日に目次の方は公開します。
それでは楽しみにしていただければと思います。


【レビュー】 『金閣寺』 三島由紀夫


 主人公の「私」は幼少の頃から父に「金閣ほど美しいものは此世にない」と何度も教えられ、美というものに執着して生きてきた。また彼は吃音というコンプレックスのために、世界との間に壁を感じてしまっており、周囲の人間ともうまく付き合うこともできずにいる。柏木などの友人と交流していき、一時、自身の生に満ち足りたものを感じたりさえするものも、ついには「金閣を焼かなければならぬ」と決意し、彼は金閣寺と心中することを選ぶ。

 この作品はまさしく美を求めた文学だと言ってもいいだろう。それは文体の面においても同じであり、徹底した美的文体によって、その美的緊張感が絶えぬままに作品は語られ続ける。ここで語られる美=金閣寺というものは戦後失われてしまったものだと考えられるだろう。金閣寺は結末にて、炎上し失われてしまう。ここにこそ、この作品の悲劇性が結実するのであり、敗戦によって美が失われてしまったことへの三島の憤りのようなものが表現されている。

 それは三島が抱えていた問題意識と密接に絡み合っている。語り手の「私」は自己の心理を透徹した分析によって解剖していき、人間の暗い部分や鬱屈としたものを露わにしいくが、これは三島自身の内にあるものと重なっていく。失われた美というものは三島にとっての「天皇」であったと言い換えることもできるだろう。美の象徴としての金閣寺が失われたのは、日本の象徴としての「天皇」が失われてしまったのとパラレルな関係にある。三島が抱えていた戦後の日本の問題意識なのであり、三島の中にあった悲劇であった。

 本作は、実際に起きた事件を基にして語られる。三島は金閣寺放火事件を媒介にして、自己の問題を語っているのだ。つまりは、三島の「仮面の告白」がここで行われているのだ。全青春の決算として綴ったという『金閣寺』には三島の存在が、三島の悲劇が、圧倒的な美しさとともに描かれている。(文責:伏見)


金閣寺 (新潮文庫)金閣寺 (新潮文庫)
(2003/05)
三島 由紀夫

商品詳細を見る

【レビュー】 『ノルウェイの森』 村上春樹


 村上春樹の『ノルウェイの森』は一九八七年に発表された書き下ろし作品である。多くの読者を得た作品であり、現在単行本・文庫本等を含めた日本における発行部数は一〇〇〇万部を超えている。本作は三十七歳の「僕」が回想する形式で語られており、主に一九六九年という学生運動の時代を背景として、「僕」と直子、「僕」と緑、この両者との関係が中心となって描かれている物語である。

『ノルウェイの森』は「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーのもとに出版され、恋愛小説として受容されてきた。確かに小説内では「僕」をめぐる恋愛が描かれており、その意味では恋愛小説と言えるのかもしれないが、この作品における恋愛が成立していたのかどうかは疑問である。村上春樹自身も「『ノルウェイの森』は正確な意味では恋愛小説だと言えない」として、「この小説をあえて定義づけるなら、成長小説という方が近いだろう」と発言している。

 作中において「僕」は多くの女性と簡単に関係を持つ、これは他の村上春樹の小説においても見られるが、そのような肉体関係は軽いものでしかなく、恋愛を描けていない、などという反応さえ見ることができる。しかし、そのような批判は、村上春樹の描こうとしているものを考えたのならば、あまり意味をもたないだろう。

 むしろその軽さは、他者と誠実に向き合えなくなってしまった現代の人間の問題を、恋愛の不可能性を描き出していると考えられないだろうか。実際、作中において「僕」は直子を「待つ」ことができない。そして緑の方へ進もうとするも、それも果たされないであろうことが示唆されて終わる。十八年後の「僕」が飛行機のなかで孤独を感じ、そこに誰かの影を感じることができないことからもそれが窺える。

 確かにこの作品は「100パーセントの恋愛小説」なのかもしれない。ただしそれは、恋愛をする人間を描いたものではなく、恋愛ができない人間を描いたものなのだろう。村上春樹はこの作品にポストモダン的な問題を持ち込んだと答えている。ポストモダンにおける「恋愛」の不可能性、人間が陥った孤独を描いた作品が『ノルウェイの森』なのだ。(文責:伏見)


ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

商品詳細を見る


ノルウェイの森 下 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

商品詳細を見る


【レビュー】 『モッキンポット師の後始末』 井上ひさし


 井上ひさし氏といえば、私の場合、『ひょっこりひょうたん島』を頭に浮かべる。平成四年生まれの私でも、あの有名な歌をよく歌ったものだ。
 さて、今回の作品は『モッキンポット師の後始末』であるが、まず物語のあらすじを講談社文庫から紹介したい。

 食うために突飛なアイデアをひねり出しては珍バイトを始めるが、必ず一騒動起すカトリック学生寮の〝不良〟学生三人組。いつもその尻ぬぐいをさせられ、苦りきる指導神父モッキンポット師――ドジで間抜けな人間に愛着する著者が、お人好し神父と悪ヂエ学生の行状を軽快に描く笑いとユーモア溢れる快作。

 主人公とその友の三人組は不良などと言うが、その実情は毎日まともな食事にありつくのも難しい、普通の苦学生である。ただ、金を稼ぐために万引きをしたり、ストリップ劇場で働いたりは、カトリック信者として(前者はそうでなくともであるが)許されないものであった。毎回彼らの起こした問題の尻拭いをするのが、お人好しのモッキンポット師である。しかも同時に、モッキンポット師は彼らの職業安定所的存在でもあり、職を失えば次のところに保証人として彼らを紹介し、また騒動が起きる、という繰り返しだ(物語の舞台は簡単にバイトが見つかる時代ではない)。三人が暮らしていた極貧の聖パウロ学生寮は、皮肉なことに、彼らが食費・寮費を稼ごうと張りきるたびに没落の一途をたどり、ついには住む場所さえも失うのだ。当然、彼らについてくれるモッキンポット師にも損が降り積もる。

 不良と言えども根は真面目な三人。前回の失敗を繰り返さぬよう、温かい周りに報いようと、善意の行為も悲しきかな、最後はやはり失敗に終わる。そんな彼らと聞こえようによっては聖人君子などこか抜けてるモッキンポット師。悪知恵の発想力と若さゆえの行動力に乗りまくっている様は、褒められたものではないのだが気持ちがいい。それだけではなく、モッキンポット師を通して道徳について考えさせられるのもこの作品の面白いところだ。罪は罪、というわけではなく、「生きるための嘘や。天に在します御方も見て見ぬ振り、見逃してくださると思いますけどな」と言って三人を詐欺紛いの手段で聖ピーター修道会に紹介したモッキンポット師が強く印象に残っている。無宗教者ではなく、根っからのカトリック神父がそう言うのだ。汚れた金を稼ぐのは駄目、時折の嘘は仕方ない。矛盾しているようで一貫した観念で三人組を導くお人好し神父の物語。私としては一押しの作品だ。(文責:三好)


モッキンポット師の後始末 (講談社文庫)モッキンポット師の後始末 (講談社文庫)
(1974/06/26)
井上 ひさし

商品詳細を見る


プロフィール

法政文芸編集委員会

Author:法政文芸編集委員会
法政大学国文学会が発行する文芸誌「法政文芸」編集委員によるブログ。編集の様子やオススメ本の紹介など、個性豊かに発信していきます。法政文芸のバックナンバー、その他のご質問はこちらまで→hosei.bungei@gmail.com

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
人気ブログランキング
ブログランキング参戦中!ぜひ、1クリックお願いします!
人気ブログランキングへ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。