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【レビュー】 『悪い仲間』 安岡章太郎


 大学予科に進学して最初の夏、「僕」が、悪友・藤井高麗彦に出会う。「僕」は窃盗などを日常的に行う藤井の姿に、憧れるようになり、「僕」もまた藤井の行為を模倣するようになっていく。そして「僕」のもともとの友人であった倉田を加えた三人の「遊び」は段々とエスカレートしてく。

 「僕」も倉田も藤井に対して異様なまでの執着心を抱いており、二人は藤井に認められようと悪事を競い合うようになる。藤井もまた、二人よりも「悪い」存在でなければならないと、より大きな悪事を行おうとする。このようなエスカレートしていく構造はなかなか自ら止まることができずに、チキンレースのようにして破滅へと向かっていってしまう。

 しかし、藤井が病に冒されたことによって、事態は変化する。「僕」は恐怖心のために三人の輪から離れようと決意し、街で藤井と倉田を見かけるも合流せずに身を隠した。そして、街へと消えていく二人の姿を背に、「僕」はそこから逃げ出した。「僕」のなかにあったのは卑しさや羞恥ではなく、ひたすら恐怖であった。

 この恐怖は藤井の病によって顕在化するのだが、三人の青年の中でエスカレートして言った「悪」がいずれ破滅をもたらすということが、藤井がいなくなることで三人のこの構造もまた終わりを迎えることが、わかってしまったからだろう。

 この『悪い仲間』において描かれる構造は、日本が太平洋戦争へと突き進んでしまったことを暗に表しているのだろう。そこにある恐怖に気付かなければならないのに、虚栄を張り続けた結果、もう止まることができず、破滅へと向かってしまった。この作品が書かれた後の現在でも、これと同様のことが起きている。ひとつ例をあげて言えば今問題になっているいじめなどもそうだろう。より酷い仕打ちをと、いじめがエスカレートしていき、その当事者はその先にある悲惨な結末を知ろうとすらしない。

 これは何も悪事やいじめに限った話では決してない。この「悪い仲間」をとりまく構造は、いたるところに存在しているのであり、その先にある恐怖を、「僕たち」は見つめなければならないのだろう。


ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)
(1989/08/03)
安岡 章太郎

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法政大学国文学会が発行する文芸誌「法政文芸」編集委員によるブログ。編集の様子やオススメ本の紹介など、個性豊かに発信していきます。法政文芸のバックナンバー、その他のご質問はこちらまで→hosei.bungei@gmail.com

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