「ポール・ニザンのさあ、二十歳が人生で一番美しい時代だなんて誰にも言わせない、ていう言葉を引用する奴、いるだろ?」
「誰も二十歳が一番美しい時代なんて言わないのにね。」
「そうでもないかなあ、青春ってのは美しいっていうことになってるかあ。」
「そこそこ。オレが言いたかったのはね、二十歳の頃って、一番眠りたい時期なんじゃないかってこと。」
思わず頷いてしまった主人公とその友達の会話。
主人公の桃子は一年浪人して大学に入った十九歳。大学入学のおりに上京して、目白に住む小説家の叔母さんのマンションに居候している。毎週日曜の夜に電話してくるおふくろが口うるさくて堪らなくて、そんなおふくろは叔母さんいわくコンサバばばあ。コンサバはコンサバティヴ=保守派ってことらしい。ちいさい頃に愛人をつくって家を出てった親父とはたまに会って食事をするけど、どうも気が合わなくて好きではない。そして、つい最近その愛人が同性だと知る。中学生の男の子みたいな外見をしたヘンな友達と長閑で怠惰な生活を送るうちに桃子は二十歳になっていく。
主人公が一人称の語り手「あたし」として世の中をちょっと辛辣な目で眺めながら、1980年代の「現在」の空気を呼吸する。登場人物が愚痴をこぼしながらも、今ある今を受け止めて生きている様子が印象的だ。作品中で時間は、若さと思春期ウツ特有の気だるさを纏ってじつにゆっくりと流れていく。
この『小春日和』には、本編の途中に「おばさんの書いた小説」が二編と「おばさんの書いたエッセイ」が六編挿入されている。それらは本筋にまるで関係ないがないというわけではない。桃子の話が叔母さんの書き物に影響を与え、桃子目線で書かれていた話題が叔母さんの主観を介して構築され直しているところが面白い。叔母さんのエッセイ『そっくりなもの』中のノタノタ歩く女子高生と買い物しているおばさんを見る限り両者に区別はないだけでなく、おばさんの好む雑誌も投資の方法や安いおかずの作り方、更年期障害の注意や老後の問題などを除けば少女雑誌となんら変わりない、おばさんは少女より少しだけ老けているという差こそあれという部分には思わず笑ってしまった。
少女小説を読んで育った作者が少女小説への〈おかえし〉として書いた、作者の血を幾分も受け継ぐ少女小説。