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【レビュー】 『チョコレートコスモス』 恩田陸


 ベテランの脚本家、神谷は、ある大きな仕事を前に行き詰っているとき、ふと、事務所の窓からある奇妙な少女を目撃する。芸能一家に生まれ、幼いときから役者の道を駆け上がり、若くしてスター女優となった響子。しかし彼女は、ある迷いを抱えていた。このまま、女優を続けていいのかと。大学生の巽は、立ち上げたばかりの学生劇団に所属する、脚本家志望の劇団員。彼は劇団での練習の最中に、「この劇団に入れてくれないか」と声をかける少女と出会う。そしてもう一人、佐々木飛鳥は、あることをきっかけに、自分でもわからない『何か』を知るために、演劇にのめりこんでいく。

 年齢も性別も、立場さえも違う彼らが、『演劇』というただ一つの共通点をもって語られ、やがて一つに収束してく。この小説は、四人の男女の視点を通して描かれる群像劇である。

 テーマが演劇であるためか、どの人物の視点でも自分の周囲を、あるいは自分自身でさえも観察するように描かれているのが面白い。脚本家とその志望者である神谷と巽はその傾向が特に顕著だ。役者である響子はその一方で時に感情豊かに描かれている。そして、飛鳥の描写に至っては、彼女自身を観察しているような、そんな錯覚を覚える。そうしていくつもの『観察』という窓を通していくことで、読者自身がこの小説という『演劇』の観客になることができるのだ。

 最終的に、神谷と響子それぞれが感じている閉塞感を飛鳥が打ち破り、彼らと飛鳥の三人は、飛鳥が探していた『何か』、演劇の持つ可能性の一端を見ることになる。その果ての見えない深淵を、この小説の中では『小宇宙』と表している。時空を超えたありとあらゆる世界を創り出す劇場と、その世界を表現する役者たちをそう表しているのだ。これはそのまま、未来への可能性を示しているようではないだろうか。何ものにでもなることができる、不確かで、あやふやな、不安を呼び起こすもの。悩んだり行き詰ったり、立ち止まったりしながらも進んでいくうちに見えてくる可能性。そういったものではないだろうか。最後に巽だけがその行く先も示されずに話が終ったのは、飛鳥たち三人と比べて巽が劣った立ち位置にいるからではなく、他の三人が見つけ、可能性を定めたのとは違い、彼だけがまだ固まらない、混沌とした未来を持っているということではないだろうか。


 「行っちまった。」


 巽が飛鳥に感じた淋しさは、自分の手の届かない高みに行く彼女へのものだった。しかし、彼の中にもあるのだ。そしてもちろん、この小説を読んだ自分たちの中にもきっとある。何にでもなれる、何ものをも創り出せる宇宙、可能性が。この小説を読んだ後、もう一度自分自身を見直してみるのいいかもしれない。そう思わせてくれる話だ。(文責:安田)


チョコレートコスモス (角川文庫)チョコレートコスモス (角川文庫)
(2011/06/23)
恩田 陸

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【レビュー】 『恋愛寫眞』 市川拓司

 生まれたての赤ん坊のようにぎゅっと握った手を、ゆっくりゆっくり開きます。ゆっくり、ゆっくりです。そうして開いた両手の中に、もしも淡い光が見えたら、もしもその光が誰かの幸せだとわかったら、あなたはどうしますか?

 主人公、「僕」こと瀬川誠人には、コンプレックスがありました。患う皮膚病の痒みを抑える軟膏の独特な悪臭がいつも体から放たれている、ということです。臭いを悟られたくないがために彼は他人と疎遠になりがちでしたが、本当は人の気持ちに敏感で、他人の意見を素直に受け入れられる、繊細で優しい青年でした。
 そんな彼がある日「ちっとも甘くないザッハトルテみたいな横断歩道」で出会うのが、もう一人の主人公、里中静流です。子供のまま時を止めたピーターパンのように小柄な彼女は、とても「オリジナル」な魅力を持ち、不器用で、嘘つきな女の子でした。
 常に鼻炎で鼻をすすり上げている静流は誠人のコンプレックスには気づきません。そのことも幸いして、二人は急速に近づいていきます。人と触れ合うことに慣れていない誠人は初め戸惑いを覚えるものの、すぐに「友達」として静流を受け入れていきます。

 静流がふとこぼした言葉に、こういうものがあります。

  「私はあの人が好き。それだけで成り立つなら、すごく簡単なことなのに」
  「それなら、世界の恋は全て成就するわ」

「片思いの惑星」があれば、というのです。
 片思いは、一種の完結された恋愛であると私は思います。相手を思うだけで嬉しくなれる、楽しくなれる、苦しくなれる、幸せになれる。その行為の中で感じることの出来る感情は、両思いのものとは違うかもしれませんが、それでもその感情経験は自分の人生において、血となり、骨となり、永遠に刻み込まれていくのです。だから「片思いの惑星」があって、その完結された恋愛が常に皆の中で成就されているとすれば、そんな幸せなことはないのかもしれません。
 しかし、残念ながら私達は「片思いの惑星」の住人ではありません。

   ねえ、と彼女が言った。
  「この地球に暮らす私たちは、これから何処へ行こうとしているのかしら?」

 何処へ行く?何処へ行くのでしょう。地球に住む私達の目の前には、いつも未来しかありません。今だけではなく、未来を見つめるのなら、一人より二人。片思いより、両思い。より幸せな未来を作り上げる為に、私達は恋を成就させようともがくのです。
 では、もし幸せな未来に向かうための恋が、自分の未来を奪うものだとしたら、自分がそれをわかっていたとしたら、さらにその恋さえもが叶いそうのないものだとしたら、私は、あなたは、その恋をどのようにするのでしょうか。


 この、市川拓司さんによる『恋愛寫眞 もうひとつの物語』は、映画『恋愛寫眞 College of Our Life』(監督=堤幸彦 2003年公開)の脚本から書き下ろされたオリジナル作品ですが、物語の展開としては別物で、さらにこの小説を元に『ただ、君を愛してる』(監督=新城毅彦 2006年公開)という映画が作られました。
「天国」と呼ぶ自然公園を一つのキー地点に二人が紡ぎだす物語は、映画でも小説でも柔らかくて、切なくて、限りなく透明で優しい情景を私達に見せてくれます。
そのひとつひとつが、かけがえのない、「恋愛寫眞」。


 自分の手の中にある幸福に、早く気づいてあげたい。そう願いたくなるような一冊です。(文責:飯村)


恋愛寫眞―もうひとつの物語 (小学館文庫)恋愛寫眞―もうひとつの物語 (小学館文庫)
(2008/10/07)
市川 拓司

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【レビュー】 『十九、二十』 原田宗典

 青春はけしてきらきらと輝くものばかりではない。19歳や20歳のなかで美しく爽やかな青春を楽しむ人など、ほんの一握りにすぎない。

 大学生である私も、昔は19歳から20歳になる時にはきっと未来を切り開いていく力を持ち、きらきらした人生を歩んでいるのだと確信していた。しかし実際は20歳を迎えた所で何も変化はなく、親から完全に自立するなんてことも、楽しい毎日が待ち構えているなんてこともなかった。そんな大学生であるからこそ、この本はとても面白かったし、素直に読むことが出来た。

 この小説では、主人公である山崎が2日早い20歳の誕生日を迎えるまでの数週間の「青春」が書かれている。山崎は岡山から上京し、東京の大学に通う学生である。彼女には棄てられて、父親は唐突に仕事を辞めて借金を作ってしまった。夏休みになり、帰省するためのお金を稼ごうとした山崎がバイト紹介所を通じて働くことになったのは怪しげなポルノ雑誌の出版社であった。山崎の過ごす20歳までの日々はけして輝いておらず、周りの身勝手な大人達によって振り回される。

 私は山崎のように法律で規制されてしまいそうなポルノ写真集を配達したりビニール詰めしたりなどという危ないアルバイトをしたこともないし、私の父親は山崎の父親のように借金まみれでも麻雀漬けでもない。年齢は同じだが、山崎とは全く別の環境に生きている。しかし山崎と私には共通点があった。それは、青春に輝きなどなく、未来を切り開いていこうなんて活力も持たないまま惰性で日常を過ごしているという点である。

 青春小説と聞いて、爽やかな汗や熱い友情、甘酸っぱい恋愛等を思い浮かべるような人にこの小説はおそらく向いていないだろう。しかしそのような青春のイメージに違和感を覚える人には自信を持って勧められる小説だ。読み終えればきっと、テレビや小説などで輝く青春ばかりを目にして不安に感じてしまっていた心も落ち着くはずだ。青春はけして薔薇色の日々などではなく、未来を切り開かずとも生きている限り勝手に日々は流れていくのだ。たとえこの小説の表紙の青年のように俯いて歩いていても。それは、山崎も、青春を過ごす私達も皆同じである。(文責:菅野)


十九、二十(はたち) (新潮文庫)十九、二十(はたち) (新潮文庫)
(1992/11)
原田 宗典

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【レビュー】 『絶対、最強の恋のうた』 中村航

 私が紹介する作品は、中村航さんの『絶対、最強の恋のうた』です。作者の中村航さんは『リレキショ』で文藝賞を受賞しデビュー。その後も『100回泣くこと』などヒット作を続々発表しています。

 大学二年生の新学期、1年の頃から友達の男子学生「大野」に告白され、付き合いはじめた「私」。初めての恋人との甘い生活に浮かれ、自分を見失いそうになっていることに気づいた「私」はその恐怖を「大野」に伝える。すると「大野」は毎日死ぬほど会う生活をやめ、電話は週に三回、デートは週末にするというルールを提案する。このルールに則り改めて付き合いを続けていくことにした二人を待っていたのはかけがえのない大切な時間だった。

 この作品の中で作者は恋愛を二段階に分け、それぞれを「トラック」と「スタンプカード」に例えています。恋する相手との生活に夢中になり、相手の一挙手一投足に不安になったり幸せになったりと常に心を揺れ動かし続けて他のことに集中できなくなる、そんな付き合いたての「不確かな」時間が第一段階。この段階を表した「トラック」とは、熱を帯びた状態で同じ場所を全力疾走しているこのような付き合い初めの人が誰しも陥るような罠のことを表しているのだと思います。

 恋することに夢中になりすぎ自分を見失うことに恐怖し、全力疾走を終えた恋人たちが新たに「ゆるやかで淡い」幸せな交際を続けていく、そんな手を取り合って歩くような「確かな」時間、これが第二段階です。この段階を表した「スタンプカード」については、作中に以下のような描写があります。

 恋はスタンプカードのようなものだ、と私は思う。

 キスをして、好きだと思って、何かをわかり合って、優しい気持ちになって――。

 そんなことがある度に、私たちはスタンプを押す。(中略)このカードはいつか、かけがえのない何かと交換できる。そんな日がきっとくる。その日まで、私たちは小さな声で歌うのだ。絶対、最強の恋のうたを歌うのだ。


 この描写にあるスタンプカードとは、「不確かな」恋を「絶対」の愛に変える幸せな時間を表しているのでしょう。

「不確かな」恋を「絶対の」愛に変えたい、この「祈り」は恋する誰しもが願うことだと思います。この作品にはこのような恋をする人が【誰しも】一度は感じる感情が見事に描かれています。読めば共感することのできる部分がきっと見つかるはずです。みなさんもこの作品を読んで付き合いたてのワクワク感やドキドキ感。そして、好きな人と寄り添いながらゆっくりと育んでいく愛を感じてみてはいかがでしょうか。(文責:大熊)


絶対、最強の恋のうた (小学館文庫)絶対、最強の恋のうた (小学館文庫)
(2008/11/07)
中村 航

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【レビュー】 『もういちど生まれる』 朝井リョウ

 早稲田大学在学中にデビューした作家、朝井リョウが描く群像劇である。五人それぞれの視点から語られる連作短編集であり、それぞれ五つの話は世界観を共有しており、短編ごとにリンクしたり、ある短編の謎がその後の、別の短編で明らかになったりもする。

 この小説に出てくる学生たちは、いわゆるモラトリアムのなかで時間と自由をもてあまし、それぞれが不安や焦りを抱いている。タイトルにあるようにこの作品は、彼等が「もういちど生まれる」過程を描いたものである。

 例えば、表題作の「もういちど生まれる」では、美人で器用な双子の姉にコンプレックスを抱く浪人生の妹である梢が、姉の変装をして、姉が出演する学生映画に代わりに出ようとする。妹であることがばれずに気を良くしていたが、最後飛び降りるシーンの直前に梢だと気づかれてしまう。彼女はどうして姉の変装なんてしているのか、羞恥でどうしようもなくなってしまうが、梢は自分を受け入れて、姉ではなく自分自身として飛ぶ。その時、彼女は「もういちど生まれ」たのだ。

 この短編集は短編ひとつひとつをバラバラに読んでもあまり感動は得られないだろう。ここに描かれているのは、情熱的で激しい大きな青春なのではなく、静かで孤独な小さな青春であるからだ。しかし、この小説は連作短編集であり、それぞれの短編が入り組むようにして一つの物語をつくり上げている。短編から短編へと読み進めていくうちに、すでに読んだ短編がさらに深い物語として、印象が変化していく。最後に全ての短編を読み終え、小説全体を俯瞰した時には、短編それぞれが相互に作品の深みをつくり出し、短編をそれぞれ読んだときとは比べ物にならない感動を得られることだろう。

 連作短編、群像劇という形式を、デビュー作である『桐島部活やめるってよ』、『もういちど生まれる』の後に発表した『少女は卒業しない』においても選び、こだわってきた作者であるが、そのことによって、学生という全体的な漠然としたものを描き出すことに成功しているのかもしれない。

 朝井リョウという学生作家が「僕の大学生活のすべて」だと言う現代の学生の姿を描いた小説を、学生というものを考えるうえで、今まさに読むべきものだと言えよう。


もういちど生まれるもういちど生まれる
(2011/12/09)
朝井 リョウ

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【レビュー】 『子どもたちは夜と遊ぶ』 辻村深月


 木村浅葱の前に突如として現れた『i』と名乗る謎の人物。自分では敵わないぐらいの、超越した頭脳をもつ『i』を受け入れられない彼は、『i』の正体をつかもうと躍起になる。そして、『i』との接触に成功した彼は驚くべき事実を知る。生き別れた双子の兄である藍の存在が、自分の力ではどうしようもできなかった理不尽な過去が、浅葱を殺人ゲームという闇の中へ引きずり込んでいく。

 

生餌となり、体を食い破れた幼虫は蛹化する能力を奪われて、それでも体と本能に残る蛹になりたいという衝動と葛藤しながら死んでいく。それが、寄生蜂と蝶の関係


 子どもながらに実感する、自分ではどうしようもできない力が支配する理不尽な世界。そんな中で上手くやっている一方で、どうしても受け入れられないことがある。誰かに愛されたい。自分の存在を認めてもらいたい。こんな世界から逃げて、自分らしく生きたい。そんな曖昧で非現実的な理想は、ささやかな希望を残しながらも、かなうことなく散っていくのである。


 この作品においてのキーワードは『i』が持つ意味だ。『i』を変換するとI、eye、愛、哀、そして藍といった様々な文字に変換することができる。

「I 私自身 」 
「i 虚数、存在しない」
「藍 『     』」

 この『  』にあてはまる答えは何だ?


子どもたちは夜と遊ぶ 上 (1) (講談社文庫 つ 28-3)子どもたちは夜と遊ぶ 上 (1) (講談社文庫 つ 28-3)
(2008/05/15)
辻村 深月

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子どもたちは夜と遊ぶ 下 (3) (講談社文庫 つ 28-4)子どもたちは夜と遊ぶ 下 (3) (講談社文庫 つ 28-4)
(2008/05/15)
辻村 深月

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【レビュー】 『草の花』 福永武彦


 物語はまず、冬の灰色の空に包まれたサナトリウムから始まる。主人公である汐見茂思は、ある病気を患いサナトリウムにやってくる。そして自殺とも思える手術に笑いながら挑み、帰らぬ人となる。彼が残した二冊の日記帳には彼の過去が書かれており、そこには何故彼は手術に挑んだのか、何故諦めにも似た、楽観的な態度をとっていたのかが書かれている。

 一冊目には旧制高校における汐見茂思と藤木忍との恋愛とも友情とも呼べる関係が、二冊目には藤木の妹千枝子との恋愛が描かれる。しかしながら、どちらの恋愛も成就しない。汐見を愛しながらも、彼を夢見る人として解してしまい、二人は彼の元から去ってしまう。

僕が生きているのは、この愛のためなんだ、観念的でもいい、夢を見ているんでもいい、ただ咎めないで欲しい。


旧制高校の合宿中、互いの見解を吐露する松林での会話で、ほとんどすがるように汐見は藤木忍に向かって言い、藤木は「何にもならないのに」と悲しげに呟く。汐見が夢見る人として藤木に見られたのは、彼が愛について深く考え、その理智の現像を藤木に求めたからではないかと思う。この愛に関しての思想に加えて、汐見が抱える孤独というものも物語の根幹である。千枝子を抱きしめたときや、戦争や信仰について考えたときに彼は孤独を感じている。彼はその孤独は無益で純粋だとして、己の内に閉じこもってしまう。それ故に汐見茂思は誰とも結ばれなかった。

 この小説の魅力は、読み進めていくうちに汐見茂思という人物の抱える孤独と潔癖が、より詳細に描写されていく所にある。それは作者が丁寧に描写する風景や街並みの描写からも伝わってくる。純粋さや孤独を徹底して描かれており、最初に死の間際の汐見茂思を描写されたことからも、彼の儚げな表情が全編を覆っている。彼が生涯抱き続けた孤独と、愛への切望が、筆者の美麗な文章により際立ち、読者を儚い気持ちにさせる。これは多くの人々が持っているだろう孤独への憧れや、人を愛する悩みが、文から滲み出るように描かれているからであろう。

今いっそうはっきりと感じますことは、汐見さんはこのわたくしを愛したのではなくて、わたくしを通して或る永遠なものを、或る純潔なものを、或る女性的なものを、愛していたのではないか

これは千枝子が、汐見の死後に書いた手紙の一部分であり、小説の結末部に出てくる。汐見茂思の夢想は、果たして千枝子の指摘する通りだったのか。互いを理解するということは難しいことだ。それに関して汐見茂思は思い悩み葛藤する。それは恐らく、心から他人を想っているからなのだろう。


草の花 (新潮文庫)草の花 (新潮文庫)
(1956/03)
福永 武彦

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【レビュー】 『三四郎』 夏目漱石

 前期三部作の一つであるこの作品は漱石が本格的に小説家への道を歩み始めた明治末期に書かれた彼の代表作の一つである。余裕派と呼ばれる現実をゆったりと眺めた反自然主義的な初期の作風から、人間の内面を描くような作風へと変化していく中で書かれた『三四郎』は、彼の作品を読む中で重要な位置を占めている。

 大学進学のために熊本の実家を離れ単身上京した小川三四郎は、東京が田舎の常識とは全く違うものであることに驚く。そこで会う野々宮などの学者、学生との交流は田舎にいた三四郎にとって大きな刺激となる。そしてその中で美禰子と出会い、初めての恋を経験する。彼女は、迷える子(ストレイシープ)という言葉を耳打ちするなど、曖昧な態度を取り続けて彼を翻弄し続ける。しかし最終的には兄の友人と結婚してしまう。三四郎の初恋はかなわないものになったが、彼はこの恋愛や学問との触れ合いの中で今の日本社会について批評することになる。

 恋愛小説に見えるこの作品であるが、実際はこの批評というのがこの小説におけるテーマである。三四郎は美禰子の結婚式に誘われるが断る。ここで美禰子への恋慕は無くなっており、恋は終わっている。対してこの小説一番描かれているのは三四郎が東京の状況、社会の現在について考える場面である。それは漱石自身が三四郎という青年を通じてこの小説で自分の日本に対する批評を行いたいという理由があったのではないか。とはいってもこの小説において恋愛は欠かせない要素であろう。

 美禰子と出会った後、三四郎は自身の世界を三つに分ける。一つは自分がいた熊本、郷里の世界である。二つめは野々宮のいる学問の世界、そして三つめは美禰子のいる華美あふれる世界である。彼は三つ目の世界に行きたいと願い、同時に三つの世界が混じり一つになる方法を探る。しかし最終的にはそれが無理であると悟る。それは田舎から夢を持って出てきた青年が現実を直視し、具体的な方法を模索する大人への成長でもあった。激変する社会にもまれ成長する姿には、自分も同じ大学生として感化される。映画化もされ、青春小説の金字塔といえるべきこの小説をぜひさまざまな角度で読んでほしい。


三四郎 (新潮文庫)三四郎 (新潮文庫)
(1948/10)
夏目 漱石

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【レビュー】 『ひとり日和』 青山七恵


 主人公の知寿は20歳のフリーターである。埼玉に母親と住んでいたが、母親の中国への転勤が決まり、東京に一軒家を持つ親戚の71歳の吟子さんとの共同生活を決める。

 吟子さんの家についた彼女にあてがわれた部屋には「立派な額縁に入れられた猫の写真が鴨居の上に並んでいた」。はじめ知寿は吟子さんのことを「もうすぐ死にそう、来週にでも」と思う。しかし、そんな風に見えた吟子さんは同じダンス教室に通う「ホースケさん」と恋をしていて毎日充実していた。一方、知寿は吟子さんと同居するようになってすぐに付き合っていた恋人の別れ、そのあとの恋人の藤田君ともすぐに別れてしまう。母親には中国で結婚をするかもしれないと告げられ、知寿は「母と自分をつないでいる一本の糸がぷつん、と切れたような気がし」てしまう。

 この物語の中で知寿には次々と別れが降ってくる。この話は知寿の経験するたくさんの別れの話であるといえる。吟子さんとの別れも訪れる。勤め先で正社員として採用されることになり知寿は社員寮へ住む決意をする。今度は知寿が去っていくのである。外の世界への恐怖を語る知寿へ「世界に外も中もないのよ。この世は一つしかないでしょ」ときっぱりと吟子さんは言う。何かを教えるのではなく見守り続け最後にポンと背中を押す。これは知寿よりも知寿の母親よりも多くの時間を生きて多くの別れを経験している吟子さんだからこそできるのであろう。物語の最後の章はまるで新しい小説の始まりのようである。

その人は既婚者である。今までにないパターンだ。この恋がうまくいけば不倫、ということになるだろう

知寿はその既婚者と競馬に行くために電車に乗っている。吟子さんの家がある駅を通りすぎ、約束の相手が待つ駅へと向かう。「電車は少しもスピードをゆるめずに、誰かが待つ駅へとわたしを運んでいく」。「別れ」を吟子さんから学んだ知寿はまた誰かと別れるために出会うのである。


ひとり日和 (河出文庫)ひとり日和 (河出文庫)
(2010/03/05)
青山 七恵

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【レビュー】 『四畳半神話大系』 森見登美彦


 あの時、もしも違う選択をしていたら自分は今とは全く違う人生を送っていたかもしれない。本書『四畳半神話大系』は、そんな誰しも人生において一度は夢想するであろう願望をモチーフに、性根のねじ曲がった大学三回生である「私」を実にユーモラスに描いた作品である。

「薔薇色のキャンパス」を夢見る冴えない大学生の「私」は、大学に入ったばかりの春にどのサークルで華やかなキャンパスライフを送ろうかと迷う。数ある新入生用のビラの中で特に惹かれたのは、次の四枚。映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という奇想天外なビラ、ソフトボールサークル「ほんわか」、秘密機関〈福猫飯店〉。そして、この4つのビラのうちどれかを選択した時点で、「私」の人生は平行して進んでいく。映画サークルを選択した人生、奇想天外なビラについていった人生、ソフトボールサークルに入会した人生、秘密機関に身を置いた人生。
 これらの人生が平行して進んでいき、全て「小津」に出会い、大学生活の二年間を棒に振り、最終的に「小津」に責任を転嫁して終わる。そして最終話「八十日間四畳半一周」でそれらの平行世界を旅してまわることになる。それらは微妙に異なって入るが、結局「薔薇色のキャンパスライフ」にたどり着くのはひとつとしてない。

 森見登美彦氏は、この自己愛と自意識が過剰な大学生のあきれるほどにばかばかしい青春の煩悩を、知的で硬派なモノローグにのせて鮮やかに表現している。共通する仕掛けを各話に散りばめ、それぞれを異なった方法で出現させ、四話すべてを読むことによって初めて全容が明らかになるという非常に趣向の凝らされた作品である。しかし、どの話も登場人物は一人として魅力に欠くことはなく、京都の街並みの描写は読者の想像をかきたてる。滑稽だが憎めない登場人物にクスリとさせられた時、読者はすでに森見ワールドの虜となっているのだ。


四畳半神話大系 (角川文庫)四畳半神話大系 (角川文庫)
(2008/03/25)
森見 登美彦

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法政文芸編集委員会

Author:法政文芸編集委員会
法政大学国文学会が発行する文芸誌「法政文芸」編集委員によるブログ。編集の様子やオススメ本の紹介など、個性豊かに発信していきます。法政文芸のバックナンバー、その他のご質問はこちらまで→hosei.bungei@gmail.com

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