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習うより……

こんにちは、学生編集長です。
更新が滞ってましたね!申し訳ない。


昨日で中沢ゼミのゼミ誌校正が終わりました!
一緒に校正をしてくださったゼミ生の方、ありがとうございます。
法政文芸のメンバーにとっても、校正練習の良い機会となりました。
校正を行う上で、個人の能力的な問題だけではなく、組織として校正に臨む場合の問題点もたくさん見えました。


法政文芸内でも、統一されたハウスルール(校正基準)があると、作業を行う上でとても便利なのですが……。
校正作業には教科書一遍通りだけなく、知識と経験の積み重ねの部分もあるので、ハウスルールを作るのにも一苦労しそうです。
今後、そういった校正作業のガイドを随時改めていくことも、法政文芸には必要ですね。


それと、校正の練習。
今回のゼミ校正に来れなかった法政文芸のメンバーにも、ぜひ法政文芸での校正の前に、校正の練習をして欲しいです。練習会みたいなものをひらこうかな。
しかし、今回の校正は、全体的に良い経験になったのではないかと思います。やっぱりやり方をガイドで見るよりも、こういうのは経験したほうが圧倒的に理解度が違いますね。


“習うより、慣れろ!”
“百聞は一見にしかず”
法政文芸の仕事には、そういったものが多いと思います。
いや、それに限らず、物事は何でもそうなのかも。


ともかく、頭の中で考えて理解していくよりも、身体を使っての経験を通したほうが、物事の理解には良いようです。
文芸のメンバーには是非、身体を使って欲しいね。
では、今日はこれにて!

校正について、いくつか。

こんにちは。学生編集長です。
今日も今日とて、ゼミ誌の校正。
朝からでしたが、参加してくれた人、お疲れさまでした。
先輩方も来てくださって、良い経験になったと思います。


いくつか気になる点があったので、メモメモ。
問題点は共有していきましょう。


・校正が踏み込むべきでない領域をわきまえる
法政文芸編集委員が校正でチェックすべき個所は、表現上の問題ではなくて、誌面上の誤りや表記ルールの誤用です。僕たちは小説の核(内容・表現)に迫るようなチェックをするより、もっと文字に対して記号的・皮膚的なチェックをするべきでしょう。僕らはあくまでも原稿の形成外科医であって、精神科医ではありません。

・表記ルールなど基本的部分の見落とし

書名、雑誌名を括るときに使用する二重括弧、語句を区切る中黒の使用など、基本的な表記ルールを把握していない人が多いようです。その結果、「まあいいか」とその部分をスルーしてしまうことにも繋がりかねません。三点リーダやダッシュの使用ルールなど、基本的な記号については使用法を理解しましょう。

・自分ルールの撤廃
「難しい漢字はルビをしたほうがいい」「ここは漢字で統一」など、校正に必要のない自分ルールは捨て去りましょう。と言いつつも、僕もよく自分ジャッジが表に出てしまうときがあります。そういう時は、まず経験者や複数人に聞いて、判断を仰ぎましょう。校正を複数人でやるのは、原稿を見る目を増やす意味があります。違う視点を持っている誰かに聞かなければ、複数人で校正する意味などありません。議論を戦わせることも、時には必要でしょう。

・表現に囚われるより、誌面をよく見る

再三言われることですが、校正作業には記号的な読みを。内容を追うことと、言葉を文字として読むことは別です。文字は記号化された言葉という認識で、言葉を追うよりも文字を追いましょう。僕らの仕事は、イケメンを製造することであって、性格までは個々人の内面の勝手なので、ノータッチで。

・先輩に聞く。後輩に教える。
未経験者ほど率先して校正作業に関わってほしいと思います。そして、未経験者や経験が浅い人たち同士で相談するのではなく、経験者や先輩に相談をして下さい。先輩や経験者は、自分の校正作業のやり方に誤りがないか、お互いに確認し合いつつ、後輩に技術を教えていくこと。良い果実は水と肥料をやる人がいなければ育ちませんが、同時に果実自身にも良く育とうという意思が必要です。そして、肥沃な大地で育つ果実よりも、多少は厳しい環境で育った果実のほうが、より中身は甘く濃く育つはずです。


以上、気になった点を僕なりにまとめさせてもらいました。
これを読んで、みんなが感情的にどう思うかは別として、とにかく法政文芸編集委員内で、校正作業のやり方についてたくさんの問題点が見えてくるのでは、と思います。
このような問題を解決していくには、誰か一人が問題を把握して解決にあたるよりも、問題を共有して「じゃあどう解決していくか、どう対処するか」を全体として考えたほうが、遥かに楽で時間もかかりません。
しかし、問題点を全員に浸透させ理解するまでに時間がかかるのです。
そして、浸透させるやり方で、全体の理解度は左右されます。
このやり方は、僕が率先して考えていかねばならない部分です。


校正作業をして見えてくる問題点をスルーしていては、いつまで経っても今の法政文芸に進歩は見られないし、これからも、進歩していく部分は生まれないと思います。
誰かが気づいた問題点を共有して、全体の動きの中で解決していかねば、法政文芸は次第に周囲からの信用を失ってしまうでしょう。
何よりも大事なのは信用であり、信用なくして組織は動きません。
信用があるからこそ、原稿は集まるし、人も集まるのです。
問題点を先送り先送りにして、誰ひとり問題に気づくことがないという愚鈍な状態に陥ってしまったら、それこそが法政文芸の破綻の糸口になるでしょう。


僕自身もまだ知らないことがたくさんあります。
誰かに聞いても答えが返ってこないことなんて、ザラです。
だからこそ、誰かが気づいたことを、いろんな人にパスしてやる機能がないとダメなのです。知らないままでいたら、いつまで経っても、視線は変化を起こさない。
こういう話を聞くのは、ちょっと感情的には気分が悪いかもしれませんが、こういうことを話すことや受け取ったりすることが、本来の意味でのコミュニケーションであると思いますし、法政文芸に本当に必要な基礎部分だと思います。


冗長に語っても仕方ないので、今日はこれにて!
この記事を書いていて、僕自身も見直すべきこと、たくさんありました。

ゼミ誌の校正!

こんにちは。学生編集長です。
中沢ゼミ誌のゲラがあがったため、今日は校正作業をしました!
文芸コース中沢ゼミの二年生・三年生のみなさんが書いた作品。
ゼミ誌になる前に読めるから、得した気分です。
あれだ、ゲームのデバッカーみたいな気分。


ダーッと並ぶ、ゲラ・ゲラ・ゲラ。
(クリックで大きくなります)
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校正実務の本とか図書館から借りてきてるよ!
さすがにみんな、参考図書なしじゃ校正できないので。
校正ガイドを片手に作業です。


人が増えて、和やかな雰囲気で作業。
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お菓子を買ってきたり、中沢先生からの差し入れもありました。
赤ペンと電子辞書は、校正やる上で忘れちゃいけないよねー。
みんなで辞書を引きまくりました。
しかし、電子辞書って「引く」って言うのか?


集中する森先輩。
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作業中は見落としがないように集中。大事。
二・三年生は多かったけど、今日は一年少なかったぞ!
明日も作業するから、ぜひ来て欲しい。


校正作業終わって、夜の市ヶ谷。
F1000426.jpg
22時近くまで作業してから、日高屋でごはん食べました。
作業終わってみんなで食うラーメンは美味しい。
これが青春や。リア充になってしまったのか、法政文芸。
いえ、法政文芸は決してリア充ではありません。


終始、集中するときは集中!和やかに休憩のときは休憩!で、メリハリのある校正作業になったと思います。みんなであれこれ議論しつつ、校正すると楽しい。
校正セミナーで学んだこと、みんな生かせたかな?
あまり来なかった一年生は、明日に期待。
では、今日はこれにて!

黄色い目の魚 パートⅡ

こんにちは、学生編集長です。
佐藤多佳子さんの『黄色い目の魚』、ようやく読み終えました。
学祭の準備etc、で結局最後の三分の二を読むのに時間が必要だった。
読書をするときはいつもそうなんですが、僕は最初の150ページはさっさと読むのだけれど、250ページあたりから不意に読むのを中断してしまうことが多々あります。
ドラマとかゲームも同様で、ドラマだったら第十話・ゲームだったら終盤突入直後くらいに、楽しむことを止めてしまう。
なぜなんだろう?
たぶん、楽しむことをやめる終わりがくるのが嫌なんだろう。


だから今回、『黄色い目の魚』の場合も「最後まで読むぞー!えいっ!」ってな気合いが必要だった。物語の終局に向かって無邪気に加速できたのは、僕がまだ中学生くらいの頃で、今は終盤になるにつれ、どうも雑念が入ってしまうようで、「もうここいらでいいんじゃないか」と思ってしまうから。
雑念っていうのは、「終わらなければいい」なのかな。
例えば、キャラ小説の二次創作があるけれど、あれは「終わらない、模造されていくもの」であって、「終わらない」ことは約束されているけど、僕にとっては「オリジナルが大切」だから、「二次創作があるから、僕の中でのその作品は続く」っていうわけではない。


そういう意味で、『黄色い目の魚』も僕にとっては大切な物語だった。
「終わらなければいい」と思って読むのを躊躇してしまうほどの作品。
ひとつの世界が彩々とした膨張をみせて、最終的に収束していくのが怖いと思ってしまうような。


佐藤多佳子さんは大学二年生のとき、『黄色い目の魚』のもととなる短編を書いたそうです。
大学二年生って言ったら、いまの僕と同じだ。
それから十年経って、作家として活動し始めてから、リライト。
高校生の木島悟がクラスメイトの村田みのりをスケッチする不思議な関係は、短編から長編へ――。
湘南・鎌倉を舞台とする世界は急速に色づいて(しかしあのあたりって地理的な印象では、延々と灰色の空と海のようなイメージが僕にはあるけれど)、本作のテーマのひとつである『絵』に様々な形で関わろうとする魅力的なキャラクターも、その際に生まれたんだろう。
そして、また十年の歳月が経ち、『黄色い目の魚』は単行本化しました。


文庫版(新潮文庫)のあとがきで佐藤多佳子さんは、『(黄色い目の魚を)収録して本を作りたいというのは、実のところ長年の夢でした。(中略)単行本化の夢がかなったわけなのですが、いざ短編を並べてみると、さすがに十年前の作品は微妙に違います。文章の話やリズムなどが。でも、今、書き直すと壊れてしまう気がして、細かいところをいじっただけで、そのままの姿で残しました。』と書いています。
『黄色い目の魚』を佐藤多佳子さんが語るとき、『昔の短編からはみ出すように生まれ出た、エピソードやキャラクターやイメージの亡霊どもが心の中に棲みついた』とも言っていて、その素敵な亡霊たちが、佐藤さんに、『黄色い目の魚』という精緻に完成された世界を書け書け、とせっついていたのだと思います。


佐藤多佳子さんにとっては本作が、作家としての自分のルーツとなる作品であり、かけがえのないスタートラインであることは、読者から見ても明らかです。
人が変わるには十分なほどの、十年という長い歳月を佐藤さんが歩き切ったとき、佐藤さんは一度後ろを振り返ってみて、『黄色い目の魚』を見つめるのかもしれません。
そして、また創造に満ちた様々な亡霊たちが佐藤さんに対して、「はやく続きを書けえ~!!」と叫ぶのかも。そうしたら、両手で頭を守るようにして、佐藤さんは「はいはい、ただ今」と言って、素敵な亡霊たちの声を成仏させていくのでしょうか。
一読者として、次の十年後が楽しみになります。


では、今日はこれにて!

学祭なので

こんにちは、学生編集長です。
思った通り、屋台企画は明日、設営兼企画開始になったんだぜ。


というわけで、10月31日から11月3日までは学祭期間なので、法政文芸ブログをお休みします。
なぜかって?それは学祭に集中できるようにさ!
4日間だけは法政大学から自由だ~!
みんな学祭を楽しむんだ~!
でも、本当は学祭4日間って長いよなと思ってます(チーン


では、今日はこれにて!
僕はチョコバナナを売る人です。
みんな買いに来てね!
大内山デッキ入って真正面です。

黄色い目の魚

こんにちは。学生編集長です。


田中和生先生のゼミからゼミ誌を頂いたので、部室のロッカーに入れておきました。昼・夜ゼミとも一冊ずつしかないため、無くさないよう、気をつけましょう。
今回の掌編セレクションの選び方ですが、文学研究会や日本文学研究会の冊子も選考対象になり、読むべき作品数が多くなってしまうので、ゼミ誌を全員に回すのではなく、グループ分けして読もうと思います。
例:田中昼夜ゼミ誌を五人班で読む。別の五人は中沢ゼミ。
で、各班からみんなが良いと思った作品を一つまたは二つほど提出してもらい、最終的な選考はみんなで行う、と。
この案どうすか?
学祭明けたら会議で聞いてみよーっと。


いま、佐藤多佳子さんの『黄色い目の魚』(新潮文庫)を読んでます。
絵が大好きでぶっきらぼうなとっつきにくい少女「みのり」と、学校の落書き王という異名を持ち普段はやる気のなーい少年「木島」の、デッサンを通して語られる、変な関係。
二人の恋愛小説かってーと、そうでもなくて。二人の関係は、木島の落書き(デッサン)で薄く繋がり始めたんだけれど、木島がみのりを執拗にデッサンしていくことで、その糸は次第に強靭になっていく。二人は学校じゃあお互いに話したりしないけれど、無言のデッサンを通して、彼らはお互いに会話をしているわけです。
木島はみのりをデッサンすることで、何かに向かって本気で突っ走ってみることを体現する。みのりはみのりで、絵が好きだけど上手く描けない自分に、「はたして絵のために何ができるのか」を探そうとする。
二人の成長なんですね、これは。
ある日突然、小さなキッカケが、青春に賭ける情熱というか迸るパトスというか、得体の知れないパワーを生み出し、それを原動力に高校生たちは成長していく。
その過程を描くことが『黄色い目の魚』の主題なんじゃないだろうか。
まだ最後まで読んでないので、本来どうなのかは分からないんだけど(オイ



というわけで、最後まで読むのが楽しみ!
もう三分の二は読んだから、明日には読み終えるかな。
では、今日はこれにて!

台風がやってくる。

ついに国文学会から、「法政文芸を委託販売してもいいよ」のお許しが出たぜー!!まずは手始めに、うちの学校の生協から浸食していくとするか。
でも、とりあえず学祭が終わってから本格始動するとしよう。


台風14号、近づいてますね。
でも、毎回毎回、台風って「非常に強い」と評されている気がする。
実際に東京まで来ると、そんな大したこともなかったりするんだよね。
いや、それはうちの地域だけか?
23区からも市町村からもハブられてます、東京のエアポケット、東小金井。
もしかしたら、台風からもハブられているのかもしれない。
ある意味、台風の目。でも言葉とは裏腹に、東京都には何の影響も与えてないんだな。だから、何らかの渦中の地域にもなることはあり得ない。


台風で思い出しましたが、今日の中沢ゼミでは「天気を表す言葉、何があるか」というのをみんなで出し合い、意味を調べました。
そこで僕が思いだしたのは、山下景子さんの『美人のいろは』という本。
この本では、いろは歌の順にそれぞれ頭文字が対応している言葉を載せ(例えば、『い』だったら『彩』、『ろ』だったら『六根』など)、彩なら色に関する様々な言葉を派生的に紹介している本です。
この本に、天気を表すいくつかの言葉があるんだなあ。


『晴れ』という意味だけ取っても、
五月晴れ・秋晴れ・凍晴れ・雪晴れ・夕晴れ・日本晴れ
など、それぞれ説明があるので、読んでて楽しい。


ちなみに、問題となった『日和』の意味に関して。
万葉集に「飼飯の海の 庭好くあらし 刈薦の 乱れ出づ見ゆ 海女の釣船」という和歌があり、この場合の「庭」は「海上」のことを指す意味で、万葉仮名では「日和」という字があてられていたそうです。
それを、後の人々が、日が穏やかである、という意味だと勘違いしてしまい、『ひより』と読まれるようになったのだとか。『日和』という言葉、もともとは、海上の天気を指す意味に限られていたそうです。
(参考:山下景子『美人のいろは』P157より)


普段何気なく使っている天気を表す言葉、調べてみるとまだまだ裏話や秘密がありそうです。中沢先生が仰っていましたが、「天気の言葉をたくさん知っていると、そのぶん、小説の世界が広がる」だそうですから、小説を書く人は、天気の表し方にも気を配ってみると良いかもしれません。
では、今日はこれにて!

学祭前です。

こんにちは。学生編集長です。
うう、風邪のせいで毎日更新できなかったっ!
ちなみに今日からちゃんと学校へ復活しました。
お昼過ぎ、副編集長が市ヶ谷の駅にいたので、市ヶ谷駅前交差点のとこで声をかけて、ぶらぶらと一緒に登校しました。


もうお馴染みとなった毎週木曜日の会議ですが、今週は学祭準備などで皆忙しいので、会議なしにしました。中沢ゼミのゼミ誌校正の話も、現在どうなっているのか状況が分からず、あんまり話す議題もないしね。


いま、法政のキャンパスは学祭に向けて準備が着々と進められています。校内のビラ貼りも万全の態勢で、どこの階に行ってもペタペタ、ペタペタ、とビラばっかり!今日は、ピロティ横の広場に野外ライブ場が設営されていました。
あれはどこのサークルがやってるんだ?機材準備するサークルがあったはずだけど、そこかな。名前は忘れた。
とにかく、いろんなサークルが学祭前準備で忙しいです。
直接学祭には関わりのない法政文芸にも影響はあって、編集委員は他のサークルと掛け持ちしている場合がほとんどなので、やっぱり学祭前はどうしても他のほうを優先しなきゃならないです。
かく言う僕も、チョコバナナ売る予定です。
でも、準備日の30日と初日の31日は、どうやら雨降りの模様ですね……雨の中でするのは嫌だなあ。いや、真に可哀想なのは野外ライブを行うグループか。


まあ、雨が降っても一年に一回の学祭、楽しみましょう!
来年は余裕があったら法政文芸も出店したいぞ。
で、法政文芸売る、と。頒価1000円だけど。
学生に売れるのか、この値段。
では、今日はこれにて!

電子書籍

こんにちは。学生編集長です。


佐々木俊尚さんの『電子書籍の衝撃』を読みました。
iPadやキンドルなど、何かとマスコミを騒がせていた電子書籍デバイス(iPadは、電子書籍の機能だけじゃないけれど)ですが、それがこれから先どのように書籍のデジタル化に関わってくるか、よく分かる新書です。
iPodがCDを喰らい尽くしたように、電子書籍デバイスも、プラットフォームを拡大していき、これからゆるやかなペースで本の電子化が進むと思われます。
本の内容は細分化していき、マイクロコンテンツとして検索できるようになり、SNSのような機能を備えたプラットフォームで、読者にとっての最良の一冊が簡単に見つけられる環境が整います。
書籍はアンビエント化(偏在化)し、どんな書籍でもすぐに手に入れられるようになります。そこでは、過去も現在もごっちゃになって、書籍の時間軸がフラットになっていく。もちろん、プロアマ問わずそういった電子ブックを書く、セルフパブリッシングが行われ、その差もフラット化していきます。


読者にとっては良いこと尽くめの電子書籍ですが、もちろん問題もあります。デバイスの電池や重量などマテリアルな問題は、開発が進めばいつかは解決するものですが、従来の書店の存在が脅かされる危険性など、社会的な問題も電子書籍は孕んでいます。
電子書籍デバイスで一瞬で本を買えるのなら、書店には誰も行かないでしょう。
iTunesで音楽を1トラックずつ買えるのと同じように、読者は自宅にいながら指一本で書籍を購入できます。
『電子書籍の衝撃』では、このような書店の未来をめぐる論もいくつか展開していますが、結局のところ、具体的な救済策は別な話のようです。
ぜひ、佐々木俊尚さんには『電子書籍の衝撃2 ―出版に関わる人々の未来について―』というような新書を、新しく書いてほしいな、と僕は思います。


個人的には、電子書籍デバイスが普及したら(それこそ音楽で言うところのiPodのように)、やっぱり買ってしまうんじゃないかと思います。
また、直観的で利便性のあるプラットフォームが完成し、その中でセルフパブリッシングのサービスが開始されたとしたら、そのサービスも利用してみたいです。
今まで本屋に平積みされたり、帯に殺し文句が入っていたり、著名な著者だからみんなが購入する、という宣伝効果は、書籍のアンビエント化によって一度解体され、読者の口コミや感想によって新たにリパッケージされると本文にはありますが、そういう本の内容と関係のない外殻が再構築されても、売れる本は売れると思うし、その逆もまた然りだと感じます。
ただ、読者にとっては、より「自分が思う最高の本」と出会いやすくなるのは確実でしょうね。
アマゾンの「あなたにおすすめのアイテム」という欄が表示されるように、購入履歴や閲覧履歴から、個々人の好みに合わせた本を見つけられる機能は、間違いなく電子書籍プラットフォームに実装されるでしょう。
ただ、僕は本屋に行って実際に本を手に取るのが好きなので(もちろん読書する際も)、よっぽどデバイスが普及しない限り、電子書籍デバイスは買わないです。
それこそ、一家に一台レベルの普及だったら買うけど。


電子書籍、便利であることには変わりないのですが、見方を変えると、利便性に付随してくるいろいろな問題が見えてきます。読者にとっては良いかもしれないけど、書店や出版文化にとっては都合の悪い面もあるでしょう。
何かにつけて「便利だ、すごい」と言うだけではなく、その影に何が隠されているのかを知ることが、物事を多角的に見ていく能力だと思います。
物事を見る際は、いろんな立場からの視線を持っていたいですね。
では、今日はこれにて!

書き手として法政文芸を見る

こんにちは。学生編集長です。
今日は法政の文学研究会が、ゆきかぜ学祭号の製本をしていました。
できあがったゆきかぜを何部かもらってくるので、法政文芸のロッカーに入れておきますね。
同じ学生が書いた作品が載っているので、興味のある人はぜひ。
掌編セレクションにも選べるかもしれないからね。


ちなみに掌編セレクションという柱が法政文芸に加わったのは、第四号からです。
田中和生先生が以前仰られたお話では、「ゼミ誌だけではなく、法政大学で発行されている創作関係の冊子を集めて、そこから良い作品を載せていくのが、掌編セレクションの理想だ」ということでした。
四年生の卒業制作だけではなく、文芸コースに属していない学生でも、自分の作品を公に発表できる場があるというのは、良いことだと僕は思います。


もちろん、編集委員としてもそう思いますが、一人の書き手としても、同じ思いです。
やっぱり自分の書いた作品が本に載って、人の目に触れたなら嬉しい。
初対面の人に「文章の書き手」、と呼べるほどには僕は素晴らしい創作をできるわけではありませんが、小説やエッセイを書く、もっと言えばこうやってブログを書くことも、広い意味で書き手という範囲に含んでもいいと、僕は思います。何かものを書いて、それを他人に公表できるという条件がそろえば、人は誰しも書き手たるのではないでしょうか。
しかし、創作というからには論文はちと違うんじゃないかな、と感じますが(笑)


書き手としての自分が一番うれしいことは、小説やエッセイを書いてみて「お、これはまあまあだぞ」と思った作品が、手にとって読める冊子となって、誰かに読まれることです。
たぶん、「書き手の喜び」は人それぞれ違うと思いますし、どういう喜びが正しいのか妥当であるのかといった答えはないと思います。あたかも、人それぞれにとっての幸福の意味が異なるように。


僕はブログの記事を書いて、それが他人に読まれることも嬉しいのですが、更に幸福を感じるのは、自分の作品が手にとれる冊子形式(マテリアル)として現前することです。
ワードソフトで原稿を書くのも良いけれど、それをデータとして保存しておくだけではなくて、原稿用紙設定したA4用紙に印刷してホッチキスで留めると、綴った文字がリアリティを持ちます。
そういうのは、やっぱり画面上で見るよりも、迫真性がある。
目に見える冊子になっている、という事実が大事なのでしょうね。


法政文芸の掌編セレクションは、法政の学生の「私の作品が本に載って、誰かの目に届けば嬉しいな」という想いを届ける、大切なコンテンツのひとつです。
それを学生編集委員が選ぶのだから、これはもう、妥協は許されない!


法政文芸のあり方を考える上で、「私の作品を載せ、それが誰かに読まれる」という想いは大事なことです。だからこそ、載せる文章に時間と人をかけて校正をし、ベストな状態で大勢の人目に触れるようにしなければならない。それは法政文芸だけではなく、一般に流通している書籍も同じだと思います。
そしてその想いを、冊子という目に見える形として丁寧にパッケージし、誰かに届ける仲介となるのが、法政文芸の中での、編集という仕事だと思います。


さて、今日も長々と書いてしまいました!
どうも、毎回固い話になりがちで申し訳ないです^^;
誰か他の編集委員も更新してくれないかなあ……。
では、今日はこれにて!
プロフィール

法政文芸編集委員会

Author:法政文芸編集委員会
法政大学国文学会が発行する文芸誌「法政文芸」編集委員によるブログ。編集の様子やオススメ本の紹介など、個性豊かに発信していきます。法政文芸のバックナンバー、その他のご質問はこちらまで→hosei.bungei@gmail.com

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